tete-a-tete

夕凪ショウの同人活動の他、行った場所や観た映画などの記録です。

レトリック感覚―2.隠喩と換喩

矛盾や重複があるかもですがメモなので大目にみてください…

■隠喩
・隠喩はただ似ているものに置き換えているのではない。XをYと言い換えることで、文脈から示されるXとYの二つの意味を表す。完全に置換するのではなく、重ねている。

・隠喩は直喩より誤解され易い。それは読者が謎解きに参加するから。謎解きゲーム、探索と発見は驚きであり快感。→おもしろい
・よく直喩と比較されるが優劣はつけられない。直喩がだらだらと長く、隠喩が言葉少なで優れていると思われがちだが、そうではない。直喩は類似性を提案・設定し、隠喩は既存の類似性に依存する。直喩は「ような」という言葉でXとYを無理矢理つないでしまうが、隠喩では「ような」という明確な表示がないので、筆者と読者との間に「これは例えだ、例えている」という共通認識がなければ成り立たない。

・隠喩は一言で表現でき便利なのでステレオタイプ化しやすい。ex)新聞の見出し
・もののなまえ=言葉はそもそも隠喩的。もやもやしたイメージを言葉という記号に置換したもの、言語の本質は比喩。
○PNとか自分でつける名前も隠喩?そうかも。
○Aが優れていると思っていたらBだと思わされ、でどっちも優劣無いと示され、自分の認識があっちからこっちへ、こっちからあっちへと動かされるのがわかって面白い。
○どうでもいいけど文中に読点とひらがなが妙に多い気がする。

■換喩
・隠喩型「白雪」と換喩型「赤ずきん
・換喩は縁故に基づく。イメージではなく誰が見ても明らかな(視覚的な要素が強い)事実上の縁故に基づいている。灘やスコッチなど地名で地酒を表す、ヒゲや眼鏡など身体的特徴で人を表すなど。
○とはいえ地名ってそもそも、地面に線を引いてここからここまでが「○○」ってするのではない。例えば城下町で武器庫があったから兵庫とか、高台に田んぼがあったから高田とか、そこにあるものを表すこともあるし、その土地に住んでいる人を地名=苗字で表すこともあるし…
○小説について、言葉は文字だけでもの(がたり)を創造できるからヽ〔゚Д゚〕丿スゴイと思ったことがあったけど、創造するのは書き手と読み手の脳の想像力であって、言葉それ自体は伝達する記号であって何もすごくないのでは。
・あだ名はレトリック現象の原始形態。親しいもの・気にかかるものに対して正式名称でなくあだ名をつけたがるのはなぜ?
○自分なりに意味付けする、名前をつけることで関係の証明にしたい?
・あだ名は、名付けの動機が感じられる初期では言葉のあやと言えるが、定着・慣用・常識化されてしまえばあやではなく一般の言葉になる。
○慣用句は換喩…?
・映画や絵画(ヴァニタス画とか特に…?)でもあやは視覚的にイメージの隠喩・換喩として用いられる。ex)写真立てや花瓶が故人を表す
・隠喩はイメージだが、換喩は視覚的な事実を示す。
○文中で比喩のそれぞれの分類・定義付けに苦心している。一個一個違うものを分類しても、どうしてもはみ出るやついるし意味なくね?って思ったけど、考える過程ではある。理系でも文系でも同じことやるんだな

採集した貝の分類風景。新聞紙の上にあるのは全部貝。
・平常表現も、そもそも言葉自体が比喩であった。
・換喩は異なるものを似ているとするよりも、縁があるものを示すので、視点は入れ替わる。流動的に用いられる。認識論的なもつれが生じる。
○人間がケータイを所持しているのか、ケータイが人間を所持しているのか