tete-a-tete

夕凪ショウの同人活動の他、行った場所や観た映画などの記録です。

脳とアート―感覚と表現の脳科学

◆「脳とアート―感覚と表現の脳科学」は、あちこちで考えていたことが網羅されているような感覚を覚えました。

以下、抜粋、要約したもの。

「発刊に寄せて」対談より神経心理学は、人間が何を考え、何を感じるかの解明をテーマとしている。言語や記憶、行為など、基礎となるものの1つ上、それを使って人間が何をするのかというと、考えたり、感じたりしている。そのいちばん大事なところがアートでしょう。
言語や行為の神経心理学には正しい答えがある。しかし感性には、なにを感じどう思うかには正解はなく、非常に個=individualに入り込んでいる部分である。
ヤスパースによると、人間の精神活動にはエルクレーレン(脳の働きとして科学的に解明する)とフェルシュテーエン(了解してあげる、なぜ起こったのかを理解する)の2つの面がある。

序論
「芸術とはヒトの表現行動、すなわちコミュニケーションのために発信する行動の一形式である。」
「表現行動には、不随意的・反射的な表現行動、欲動推進的・自動的な表現行動、感情を直接的に表現する情動行動、そして芸術活動を含む支持的。表彰的な表現行動がある。」
つまり楽しければ笑う、という直接的な行動ではなく、愛の場面を演じるなど、間接的・表象的活動であってこそ芸術だ。(その意味で芸術の基本は隠喩である)
「ここで定義する芸術活動というものは、必ずしも美の追求を目的とする行動ではなく、美の追求という欲動に基づく行為とは独立したものである。美を愛すること、美を表現すること、それだけでは芸術活動とはいえない。」
美とは何かということに対する表現者の思いを間接的に表現するものこそ芸術作品と呼ばれる。
お箸で物をつまむイメージだなぁ

話はまず芸術の起源に遡る。洞窟画が描かれたのは総合的パフォーマンスの場であった。絵の描かれた洞窟は音響効果のよい場所であり、音楽や踊り、祭礼的儀式の場であった。絵はその場所の占有権を主張すべく描かれたのではないか?…ニコ動のボカロ動画?

感性には個人差があるが、ヒトにはアプリオリに備わった直感があるとし、カントはこれを純粋直感と名付けた。純粋直感の中で芸術において最も重要なものが、空間と時間である。これは普遍的な感性としてすべてのヒトに共通に直感されるものであり、それが芸術の普遍性を保証している。ただしこの空間は単に視空間をさすのではなく、ポリフォニーの聴空間もまた、純粋直感として受容される。
美の判断基準となる完成は個人差も大きいが、ある程度の普遍性があることも事実である。(雑談ログでした話だ)

◆色彩の認知、絶対音感相対音感が無ければ違う調は違う曲に思える)、香りと続き、味覚の話題へ。
◆おいしさは静的な喜びである、咀嚼中のおいしさの実感(陶酔感)、嚥下後のもっと欲しいという欲求(期待感)
◆清潔感、羞恥心、余韻のある楽しみといったことは前頭連合野の働きに関係する。
バーチャルリアリティ、視覚と触覚のズレ、どちらが優先されるかということにより、偽物である、騙されることが主題となる分野?

チンパンジーとヒトの幼児の描画を比較したとき、輪郭だけの描線を顔に見立てて、「今・ここ」に無い目玉を描き加えるのが、表彰を描くヒトの特徴であり、チンパンジーはそれをしない。岩肌のでっぱりを動物の顔に見立てる、という恣意的なイメージの生成は言葉が助ける。反対に、チンパンジーには「今・ここ」のありのままの姿がヒトよりはっきり見えているかもしれない。

◆既存のイメージを壊し、逸脱する作品が、すぐには取り出せない深層にあるイメージを掘り起こす、これが感動を呼び起こす。

お絵描きロボットについて
手元の構造を人間に似せ、視覚センサーで捉えた物体の形の再現が、手元の狂いで一度ではうまくいかず、試行錯誤をさせるという実験。面白い。
鳥の「飛ぶ」と飛行機の「飛ぶ」が同じではないように、人工知能も人間の知能そのものとは違うはずであり、人工の魂は人間の魂・情緒とは異なるはずである。
芸術作品を作ることは他者を設計することであり、自由意思の設計である。
優れたロボットを設計することは、ロボットとして相応しい存在感を設計すること。
ロボットが自由意思を持つためには、自分自身の動きを自己言及的に観察する必要がある。自由意思は制御不可能な身体から出てくる。つまり医師はあるが、結果として身体の制約で意思と完全に一致しない。その差分を埋めようとする作業に自由意思を見るのではないか?

音楽療法について
自閉症の子供にとって、最初は、音楽療法士の存在は物と同等であるが、打楽器の音を出すと音が返って来る、やりとりの繰り返しのうちに、ものではなく自分と同じようのな意志を持つ存在、人であると認識するようになる。

◆背側視覚経路で扱われる情報は客観的であるのに対し(デッサンの正確な写実的な絵)、腹側視覚経路で扱われる情報はかなりあいまいな主観的情報で(描きたい部分を大きく強調する)ある。
有元利夫フレスコ画に寂(さび)を感じ取った。風化したフレスコ画は「時間そのものが喰い込んでいる感じがして気持ちが安らぐ」
◆日本語の色名は非常に少なく、物の名前を使う。
◆芸術、宗教、医療が未分化で一緒のものだった時代には広義の祈りであった。遊びではなく生きていくために癒しが必要だった。
◆文学者は「測る」時間ではなく「感じる」時間を表現している。
◆自己主張する資格を奪われた状態がdeprivesであり、プライベートだった。ギリシアの世界では公民権を失った状態=プライバシー。近代になってくるとlabor,work,actionの差がどんどんなくなってくる。
認知症の場合、今まで出来ていた表現方法ができなくなる。拘束するより別の表現手段を得た方が良い。

やー、面白かったです。一気に読みました。本文は横書きで、時々グラフがはさまれます。実験レポートを読んでる感じに近いです。話題は広いのですが散らからず、気持ちよく読めます。脳の部位名がかなり出てくるのですが、気にせず読んでも大丈夫だと思います。

あとは雪奈ちゃんに借りて積んでる文庫本を年末までに読みたいのですが、いけるかな。
最近漫画も結構読んでしまう、、、「惑星9の休日」「機械仕掛けの愛」良かったです、SFショートショートですね。こういうの描いてみたいなぁ。