tete-a-tete

夕凪ショウの同人活動の他、行った場所や観た映画などの記録です。

「内臓とこころ」を読んだ

「内臓とこころ/三木成夫」を斜め読みしました。
著者は東大医学部卒の解剖学者であり、東京芸大教授。個体維持の食の相、種族維持の性の相、それぞれを合わせたものが本能…とか、実は以前にも触れていました。やっぱりこういう話が好きです。

・脳は体壁系でありアタマ、心臓は内臓系でありココロ。
・『思』の上半分の『田』は脳みそを上から見たアタマの形であり、下半分の『心』はココロである。
・例えば概日リズムとして私たちが持つ『はらわたのうねり』は、振り子運動する『小宇宙のリズム』であり、上古の人たちはそれをココロと呼んだ。対して『(大)宇宙のリズム』は『天のココロ』であり、古代中国の人たちはその大小宇宙の波を、〜をみっつ重ねて『気』と表した。(ココロってカタカナはバラすと〜〜〜になりますね。〜←みみず)
・子供の指差しは自然の一点を観念的に固定する仕草。同類を指示し象徴を見出すこと。拍子をつける、節をつける、リズムをつくることも同類の指示。(世界を切り分ける仕草という点で、言葉と音楽が始まりが近しい。)
・魅力という意味での磁気という言葉
・顔は視覚的なシンボルであり、声は聴覚的なシンボル。声ははらわたから来るものであり、心で感じることとものを話すことは双極の関係にある。(肉体的なシンボルである声に顔が無いと聞き手は不安になる、そこを解消したのが初音ミクだって記事をどこかで読みました。)
・アタマには過去と現在の出来事を二重映しにする働きがある。(メモリを参照する)
・溜まることは不快、出すことは快であり、唇は脱肛だとか言っちゃう。排便や性行為をタブーとしない社会からの外れ方は、生物学をする者の特徴なような。
・子供はものを言いながら考える、大人は黙って考える。大人は心の中で自分を仮想の話し相手にして「無声の対話」つまり思考を行う。思考を得る寸前が3歳であり、時折焦点が合わず遠くを見つめる表情をする。(というのを読んで、「遠くを見つめる幼い瞳が夕凪さんらしい絵」と言われたことを思い出した。)

例えば、部屋の電気を暗めにして、ソファに並んで映画を観て、会話は無く、ぼーっと没入している彼女の横顔、瞳に光が映り込んでいる。そういう光景の様式美。
大槍さんの作品にも、少女が夜中にゲームしてて、ぺたんこ座りの膝の間にコントローラーを力なく持って、ぼーっと画面を眺めてる絵がある。きっと描いたご本人もそういう一瞬があるんだろう。この感覚すごくわかるって思った一枚。
きっとそういう無垢や少女性ってある。
エレクトロニカもそういう、意識がここに無い感じの音楽なんじゃないだろうか。音のテクスチャ、手触りつまり知覚のみがあって、思考の無い状況。
(そういう状況の再現として薄い本のクライマックスがあれば……)