tete-a-tete

夕凪ショウの同人活動の他、行った場所や観た映画などの記録です。

5年目の10月3日

不特定多数の人が目にするブログに個人的な事を書くのはどうかな、と思ったのですが、そもそもブログは個人的な事を書くところだと思い当たったので少し綴ります。
普段は、私事は極力外に表さないでおこうと気をつけているのですが、今日ばかりは少し。

五年前の今日、あることがありました。
それは私の人生を決定的に変えてしまう出来事でした。
私だけでなく、私の周りの友人達もそうではなかったかと思います。
そのあまりの衝撃に、私達は傷を舐め合うと言うよりも肩を寄せ合うようにしてひとときを過ごしました。
そして私は今も、10月3日になるとまた肩を寄せ合いたくなって、
悲しい気持ちにすがりついてみたり、憂鬱げに物思いにふけってみたり、TLに旧友の姿を探したりと、遠くなる感覚への悪あがきをしているのです。

その事が起こってから、私の創作の根幹はそれでした。
寧ろ私の中にあって、作品として表に出して意義のあるものと言えばその経験しか無いと言えるほど、それは大きな出来事でした。
その後の一連の創作は私なりにその出来事を消化する生理的な反応でした。

さて、5年も経つと、世界は全く変わってしまうのだなと感じています。
だって5年前って言ったらミクが居ない世界ですよ!?(そこ?
まぁ冗談はさておき。
最近は数年前の事をよく思い返します。私の生きてきた時間にも「昔」という区分ができたのだと思います。
バックグラウンドを持ったキャラクターが立つように、自分の過去を意識することで私というものが柔らかな液体の中から静かに形を持ち始めた。
それと同時に未来の有限性の足音に耳をそばだて、恐れているのです。

限られた時間の中で、拙い技術で、私の作品が生き残るには、普遍的な訴えを持たせなければならない。
ひとが生きるなかで何が根幹なのかつかみたい。
日々のざらつきを濾過して。
行く川の流れが絶えないところに目を凝らして、川底の石をひとつ拾い上げるように。

そして自分というものを意識すると同時に、自分の感受性が鈍っていってるのではないかと不安に駆られています。
だから今日のような機会に、手掛かりとして、私は感傷的な気分にすがってみたくなるのです。
その出来事に関して、私は全くの当事者ではなかったのですが、だからこそ捉えられる事があると思うのです。

こう書くと自分の為に10月3日を利用しているようですが、5年の間に10月3日が抽象化されてしまったのです。

Rayのことや某氏のブログの事もあって、ネットという場に保存するのは案外有効なのではないかと思い、
ただの空想としてこの言葉をタイプした去年とはまた少し違った意味で、
ネットの海に、小瓶に入れて流してみる。

                               夕凪ショウの中の人