tete-a-tete

夕凪ショウの同人活動の他、行った場所や観た映画などの記録です。

日記

ここしばらく、色々観たり読んだりしたメモとか考えたこととかをTwitterにだばだば流してましたが、とうとう夏の本の結論が出たので、しばらく心穏やかに過ごせそうです。冬コミ終わってからの3ヶ月、結構頑張った。明日から気持ち切り替えるぞー
以下引用とメモ。

◆「ベルリン・天使の詩」観た。図書館に天使が居てびっくりした。

鷲田清一「死なないでいる理由」読んだ。
・「死ぬ」ではなく「死なれる」ことが<死>の経験の原型だというとき、わたしの死は二人称である他者の喪失を想像的に自己に折り返したところに成り立つ。「自己の死」は「他者の不在」という概念を自己のなかに反照させた擬似二人称的な死である。それはわたしにとっての<わたし>の死ということ。
・自身の死について語るとき、すでに「わたし」と「あなた」の可逆性をふまえているため、純然たる一人称を超えるものを含む。「わたしの死」について語る言説は、「死なれる」という二人称の死から派生した非人称的な語りなのである。そういう語りによってしか自己の死に触れることはできない。
・自分の死は経験できない。他人の死は経験できる。他人の死によって初めて死を経験し、それは他者の存在を証明する? 
・天使が全員人間になってしまって死者が存在しなくなったら、それはそれでやばいのでは
・「死は生に意味を与える無意味なのです」、今村ミクと夕凪ミクっぽいなぁと
・思いの宛先
・感情の自己管理を社会学では「感情労働」とよぶ

心身二元論的な考えは葬儀の習慣以降のものって読んだけど、「自分の心と身体が別」でなく、「自分の中の他人の心と他人の身体が別」の方が近いかなぁ…

◆V・E・フランクル「死と愛」をぱらぱら。
・三層 : 性的な態度(性欲)は、相手の身体性を目指す。<エロティックな態度(恋)は、相手の心理的な特性を目指す。相手の性格特性によって情動的に興奮せしめられる。<愛は精神的人格を目指す。 外の二層は衣服、相手が「持っている」ものであるが、中核の一層は相手に「おける」ものである。
・相手に酷似した存在に対して、愛(相手が「ある」ところのものへの指向)は転移しないが、恋(相手が「持っている」ものへの指向)は転移しうる。性欲や恋は一過性のものであるが、愛(精神的人格/他者の本質を指向する精神的な行為)は永続的なものである。
愛する人間の身体的存在は死によって無に帰しても、その本質は死によってなくなるものではなく、無時間的な、移ろわないものである。 愛は人間の本質を指向するので、身体的現存は問題にならない。1人の人間の本質性が愛するものを満たすので、その人間の現実性は背景に退く。
・愛は対象の死を超えて続き、自身の死まで続きうる。そして、そのどちらの死も体験的に捉え得ないものである。
で、精神的なものは、心理的身体的なものを表現手段として用いる。
・本質、精神的人格、そういったものがあれば、生きているか死んでいるか、身体があるかないかは、問題にならない。
・無理矢理当てはめてみると、絶対領域がエロいのは性欲で、ツンデレが可愛くて萌えるのは恋で、「本質」を目指せば二次元キャラへの愛が可能、ということかな。