tete-a-tete

夕凪ショウの同人活動の他、行った場所や観た映画などの記録です。

読んだ本、展覧会など

ご無沙汰しております。
やや一段落しましたので久し振りにブログ更新します。
と言ってもtwitterからのコピペが多いです。引っかかった言葉のメモです。

◆本
●人と芸術とアンドロイド/石黒浩
人間とは何かを追求すること、ものを作ること、コンセプトが芸術である、という話に、直感という言葉は使われていても、美しさという言葉が出てこなかったのが、すごく不思議。芸術と美術は別だという考えなのだろうか。
明確なアイデンティティをもった個人である必要もなくなるかもしれない / 心は自分と他人を取り巻く様々な状況のなかに分散している / 性欲とは、『自分を知りたい』という欲求 / 皮膚、柔らかく高感度なセンサ、全身を覆う。/ 非日常的で見たことのない光景のなかに少しでも人間らしいものがあると、その人間らしさがかえって際立つ

●生き延びるためのラカン/斎藤環
人が鏡を見て自己を認識するなら、(パッケージイラストのことは忘れて、音素の集合として)姿を持たないミクは、自分がうたった歌を聞いて自己を認識する? 私たちは自分自身で聞こえる声と録音した自分の声とを異なるように感じるけど、身体の無いミクは、歌う時もデータになっても、同じと感じる?
シニフィアンシニフィエ / あなたが音、わたしがイメージ / フェチの多くは、女性をモノとしてあつかうところから快感を得る / 哲学者はまずなによりも言葉をいちばん厳密にあつかう人 / あなと切れ込み、0と1、合わせて鍵 / こだまでしょうか、いいえ、初音ミクです。声だけの存在になってしまったエーコ


●アルテス Vol.4 (拾い読み)
ミクが歌う死の希薄さ。『THE END』上演台本の引用がきりきりくる。死ぬ=人間である、人間でない=ミクである意味、なら死は怖い。ミクが人の死を歌うと現実味が薄くなるが、それは人の死が彼女自身にとっての死と異なるからか。しかし自己の喪失への恐れはごく人間的では?
他にもおもしろい記事がたくさんあって、ぱらぱらめくるだけでも刺激的でしたが、読み通すには多すぎるなぁ、と。
↓ここの記事が面白かったです。
JCといえば女子中学生じゃなくてジョン・ケージのことを思い浮かべてください。初音ミクの死からサウンドスタディーズまで『アルテス Vol.04』

●大竹京氏、大野季楽氏の球体関節人形写真集
殆ど人間に見えるのに、それでも人間が意図的には出来ない力の抜け方しててすごい。

○今、お手伝いしているミク曲のテーマが「一人称の獲得」を含む。それからもう一つ、次に描く薄い本では、前回の反省から、各人が何を望むのか、かつミクであることにこだわって、プレイを理論武装したい。で、読んだ本でした。

◆漫画
・死せる王女のための孔雀舞/佐藤史生
 これは親和性高いのか、ぐらぐらさせられた。
・この貧しき地上に/佐藤史生 ・精霊王/佐藤史生
・夢庭園/鳥図明児
 見た夢を漫画におこしたような独特の発想。登場人物はどこを見ているのかつかめないような瞳をしている。
 あっけらかんとして自由、あらすじを放り投げるような印象。イメージ重視の漫画で、不思議なの(市川春子さん)とか、救いのないの(鈴木翁二さん)でもなく、幼さ?を感じさせるような、ちょっとほっこりする味付けでした。

◆映画
・ゼロダークサーティ うーん。
・007 ゴールデンアイ うーん…シリーズの他作も見てみます。

◆展覧会
●知られざるミュシャ展―故国モラヴィアと栄光のパリ―
 ミュシャの展覧会はおそらく二回目、前回は大阪天保山サントリーミュージアムでみたような。今回の目玉であるチマル・コレクションの素描が良かった。褐色地の紙に、木炭とチョーク、あるいは黒と白のインク。特にホワイトでのハイライトがびりびりきた。紙に線が描かれてるだけなのになんでそこに物があるように見えるの?っていう、絵の始まりの部分の不思議さとか感動とかが体感できた。

フラワー・オブ・ライフ― 春のアサヒビール大山崎山荘美術館コレクション
"「美しさ」、「最盛期」などの喩えとしてだけでなく、生物学的に生殖器官である花は、「生命」として、そしてときには「死」の象徴としても用いられている"

うららかで健康的なお天気で、ハクモクレンが咲き誇ってました。遠くに見える梅のピンク色と、アセビ、地面にぼたぼた落ちた椿。沈丁花の香りが強くして、ああ春なんだなぁと実感。
建物を目当てに行った部分もあったのですが、展示の品々がすごく良くて、かつ傾向も好みだったので、また行きたい。

まず、河井寛次郎氏の、淡い浅葱色の釉薬のかかったうつわがすごく良かった。まるっとした姿、でも素朴な佇まいで。 ルーシー・リーも以前の展覧会に行けなかったので見れて感激。「青釉黒覆輪鉢」という題で、すらっと薄く、東洋でも西洋でもないような、宇宙っぽいフォルム。地は少し明度を上げた紺碧色、ふちの部分は鉱石のきらめきを含んだ炭色で、うつわの中から円形のふちを通って何か立ち上がってきそうな存在感。 バーナード・リーチの蛙の絵柄の大皿もほっこり(つ^ω^)つ◯

それから彫刻では、須田悦弘氏。ん?と思ったら直島のベネッセアートハウスで一度見たことがあった。直島では建物の隅に同化するような展示だったけど今回は違った。四畳ほどの白い部屋の中に、同じく白い絨毯が敷かれている。床の中央に漆の薄い円板が置かれ、その上に睡蓮の木彫がある。中に入って低い視線で見れて面白い。睡蓮の姿が漆の黒に映って、その展示を見る前に、テラスに立つと見えた池の、水面下に首をもたげていた睡蓮の蕾が思い出されて、そういう蕾たちはこの漆の下だし、出てきたとしても漆の下の部分は見えず、水面で反転されるだけだなぁとか…。

●企画展「小さな世界へようこそ!」
ここでも須田悦弘さんの名前があったので足を運びました。ここの美術館で展覧会を見るのは…何回目でしょうか、入ってまず思ったのは展示の匂いだと思ってたらこの建物自身の匂いでした。混んでなくて、ほぼ貸し切りの状態で見て回れるのも楽しい。
須田悦弘さんの彫刻は、いつも通り展示室ではない場所に展示されていて楽しい。順路の矢印が休憩コーナーの小部屋を指していて、でもそこは電気がついてなくて、なんだ?間違いか?と思っていたら、空調のパイプを通してある小部屋が覗けるようになっていて、照らす電球一つと、掃除されていないほこりと一緒に草の彫刻があるわけです。
照屋勇賢氏、紙袋から樹の形を切り出し、袋の内部に立ててある作品。紙を元々の樹に戻す、樹を切り出した部分では、外からの光が注ぐ、というところが面白い。
岩崎貴宏氏、レースのカーテンを床に盛り山並みに見立て、そこから引き出した繊維で鉄塔を立てた作品。白いカーテンは柔らかく海のようで、ネットの海のよう。ミクさん似合いそう。
さわひらき氏の白黒の映像作品。室内の風景に木々、観覧車、羊(と説明パネルにはあるがどう見ても山羊)が合成されているもの。幻覚みたい。
コレクションのカンディンスキーの絵が良かった。
束芋さんの「Japanese Little Kitchen」縮小版ですがこれは見れて嬉しかった。
柳幸典氏「ワンダリング・ポジション」よくわからないけどすごく不安定になるので正視できない。
開発好明氏、ビックリマンチョコレートシールシリーズ、それから「普段使ってるまま掃除しないで展示させて下さい」と展示室のすみの小さな倉庫?に作品を展示したもの。何度も足を運んでる美術館で見てこそ楽しいなぁ。

●常設展「現代アートのたのしみ―草間彌生から奈良美智まで―」
村上隆氏の作品もありました、現代のコレクションに強いですね。
吉原治良氏の黒地に白で線の描かれた絵、何故かものすごく立体に見えて驚きました。すごい。

●ピアノリサイタル
 たまたま外出していたら、母校の卒業生の演奏会があったので行ってきました。時々すごく良かったです。高音は綺麗に聞こえるのに真ん中から少し下の音はもちゃついて聴こえたのは音響のせい? 生で演奏を聴くと、普段演奏者がいない状態で聞くのと違って、音の出る前やタメるところ、弾き終えた余韻に緊張感があって新鮮です。VOCALOIDDTMは演奏というより(どこかで盆栽のようだと書かれていましたが)彫刻に近いように感じます。
演奏の最後に、音楽とは現実にはありえない美しいものを再現するためにある、云々、というようなお話をされていて、もっと聞いてみたかったです。
演奏を聴いていると、音のイメージが脳内で色で展開されるのですが、その色に黒が含まれないので不思議です。

(´・ω・)y--oO○ エート・・・
毎度ながら文体ぐちゃぐちゃですが眠いので終わります。