tete-a-tete

夕凪ショウの同人活動の他、行った場所や観た映画などの記録です。

『思想地図vol.4 特集・想像力』を拾い読み。

『思想地図vol.4 特集・想像力』を拾い読みして、ちょっと考えたのでブログ更新です。

想像力という単語と、東浩紀さんの名前が目にとまったのでつい手に取った本なのですが、パラパラっとめくってみると村上隆やらAIRやらといった単語が並んでいる。これはオタクとしてそそられない訳が無いですw←

村上隆さんに関しては座談会が載っていたのですが、オタクと芸術が重なると必ずムラカミが出てきますね。寧ろそこらじゅうで目に入ってきますね…pixivでさえも。精力的に活動なさってるのは素晴らしいと思うのですが、個人的にはあまり好きになれないんですよね…;フィボナッチ数列のマリオ・メルツの話は面白かったですけど

さてこの本ではゼロ年代サブカルが主題だった訳ですが

大雑把にいうと、
純愛/セカイ系アルタミラピクチャーズ/空気系→ループシナリオ。
というのが流行でしたね、というお話だったかと思います。
何か遠いものに焦がれ絶望感を味わうところから、至近距離しか視野に入れないところへ。

ゼロ年代を抜けた今年、サブカル界ではまどマギが大流行りですね。これだけ流行しているのも時代の欲求に合致したからなのでしょうが…

ひとつ今挙げるなら、まどマギの魔女は、幼いころ暗がりに感じたような恐怖を思い出させるのです。

少し話は変わりますが、
想像力は、断絶され抑圧された環境化でないと力を得ないと思うのです。例えば夜。小学生の頃は暗いトイレに行くのも怖かった一方で、寝る前には布団の中で色んな想像をして楽しんだものです。

現在はといえば、PCかケータイが常に起動していて、
スカイプで三窓開いて同時に違う人と違う話をしていたり、暇さえあればツイッターのTLを眺めてしまう生活です。
…ハイ、思いっきりオタク生活ですが←

自分のやってることを振り返ってみると、特に何をするわけでもなくそれとなく誰かが居る事に安心感を覚えている。
同時に自分の存在を発信し続けている。
なんだかこう書くとケータイ依存症の若者みたいですが、実際そうなのかもしれません^^;

同時に、「自分」がどんどんアイコンと文字情報になってオンラインに流れ出していくから、生の感触、本能的な感覚を求めてしまうのではないかという気がしました。


追記 小学生の時ファンタジー小説に熱中し、今ではリアルSFな初音ミクに夢中である私の根本は結局同じなのではと思い妙に納得しましたw
つまるところオタクの目指すのは現実逃避なのかもしれません。