tete-a-tete

夕凪ショウの同人活動の他、行った場所や観た映画などの記録です。

MIKU EXPO大阪

MIKU EXPO大阪に行ってきました。楽しかったー。少し時間をおいて考えが整理されてきたので書いておきます。
ライブで見たミクは私の欲しいミクではないなぁというのが感想です。

歌詞の一人称が「ミク=私」になるとき、感情の昂りがダンスの振り付けではなく行動そのものに表れる場面では、ミク自身がパフォーマンスしていると感じられましたが、全体的に人形っぽい、歌声とモデルが同じ人物のものと思えないという感覚がずっとありました。目の前に投影されていたのは「数多くの人の代表としてそこに置かれたミク」で、あまり色気を感じない。
CGのミクの人形っぽさは、歌っているときに特に強く感じました。キャラが歌わずにただ踊っているとき、そのステップと会場のキンブレと演奏とがばっちり合ってるときには臨場感がありました。あるいは、聞き馴染みのあるボカロ声が胸郭にびりびり響く場所で目を閉じたときは、誰かそこにいると思えました。ミクが前で歌っていて、リンのコーラスが声だけで重なるのはとっても良かったです。ボーカロイドとしてのリンがミクの出番に花を添えてるように感じました。

投影に関しては、モデルの後ろに物があると視覚的にそこに居る感が増すと学びました。スクリーンの奥に模様のついたカーテンがあって、キャラが透けてないときとか。それから、等身大だとそれが現実的かどうかが気になってしまいます。モデルにもよるけれど、デフォルメがきつく人体から離れすぎているために歌って踊るには厳しそうな体型とか、カイトとメイコの髪質はリアルなのに彩度が高すぎるところとか。通して、投影の質を高めるより、物語やコンセプトがちゃんと通ってる方が、私にとっては心動かされるものになりそうだなと思いました。

みくぽ大阪公演、小さなハコも初めてだし、すごく良い位置で、しかも昼夜公演ともにじっくり見ることができたのでとても幸福でした。でもこうしてやや否定的なことを書いてしまうのは、大阪公演を通して自分がミクに求めているものをはっきりさせることができたので、その自戒を込めてなのです。

そもそもなぜミクに人格を見出すことを考え始めたかって、歌を聴いたときに、歌っている主体がそこにありそうだと感じるからなんだなと。初音ミクアイデンティティとして歌うことは最重要項目ではないのでは?って思ってたし、あんまり歌う場面を描いてきませんでしたが、彼女を好きになってしまうにはまずそこに女の子が居ないとだめなんです。

というわけで、公演からずっとぐにぐに考えていた新刊プロットがほぼ固まってきました。今年度中にどこかのイベントで頒布するつもりです。

ああそうだ、公演のときミクコスしてる方がいらしたのですが、ウィッグにステージのライトが当たって透けるところがふと目にとまって、すごく綺麗でした。明るい色のウィッグが光に透けてる画に弱い。