tete-a-tete

夕凪ショウの同人活動の他、行った場所や観た映画などの記録です。

チェコで知らないおじさんに付いて行った話

ブログに書こうと思いつつ、余りの量の多さに写真の整理すら終えていない、春の旅行の話を書きました。

2014年3月6日。
前日の20時にブダペストを出発した夜行列車は、国境を越えプラハへ到着した。まだ暗い朝の4時である。プラットホームにぱらぱらと乗客が降り立つ。ホームのそこここにあるマンホールの蓋には、駅舎の絵とPraha hlavní nádraží(プラハ中央駅)の文字が刻まれている。初めて見つけたプラハの証拠だ!と写真を撮っていると、駅員のお兄さんが微笑みつつ通り過ぎて行った。

マンホールに描かれていたのは、1900年代初頭の建築である旧駅舎の姿だ。2012年に改修工事を終えたばかりの新駅舎は、近代的なつくりで広々としている。駅構内は静かで、切符販売の窓口も未だ始業前であった。
待合所には見覚えのある女の子がいた。私たちと同じ夜行列車に1人で乗っていて、不機嫌そうに医学書を眺めていた子だ。しばらく荷物を整えた後、さらりと立ち去って行った。

ひとまず予約していたホステルに向かうことにした。マフラーをダウンコートの襟元に詰め込んで、紙の地図とiPhoneGPSを頼りに歩き始める。ぽつぽつと続く街頭がオレンジに輝いていた。キャリーケースを引く音が、暗い石畳の道にやけに大きく響いた。

なんとかホステルを見つけ出し、受付のお兄さんに声をかける。眠たげな口調で、朝6時になるまで部屋には入れないと言う。荷物だけ預けて、カレル橋を見に行くことにした。

最寄りの地下鉄駅を探して移動し、再び地上へ出て通りをふたつほど渡ると、急に視界が開けた。ヴルダヴァ川である。川の向こうにプラハ城が見え、薄靄の中には細い尖塔が連なっていた。シャッターを切った。

ガイドブックの写真では人に溢れていたカレル橋も、今は老いたシスターが1人通り過ぎていくのみだ。しばらく散策していたが、あまりの寒さに音を上げて帰ることにした。カレル橋を渡った先、聖ミクラーシュ教会の前にトラムの停留所がある。時刻表の看板の前で右往左往していると、親切な男女が声をかけてくれて、中央駅までの行き方を教えてくれた。

トラムを1度乗り換えて、中央駅へ。先程は閉まっていた窓口も営業を開始している。チェコ語はできないので、チェスキー・クロムルフと書いた紙を出して、往復チケットを発券してもらう。チェスキー・クルムロフはプラハから日帰り可能な距離にある小さな街で、世界遺産に登録されている。赤い屋根が肩を並べる、おとぎ話のような街並みを、見てみたいと思っていた。

9時半の発車までの合間に、駅のスーパーで人参のマフィンとサラダ(きゅうり、トマト、オリーブ、チーズ、パプリカ)、苺とホイップクリームのシリアルを買う。乗り込んだ列車は6席1室のコンパートメント制で、朝食をとり、車窓を撮りながら楽しく過ごしていた。

が、途中で列車が止まる。しばらく動かない。一時停車にしては長い。個室から廊下に出てみると、車両の窓から顔を出して辺りをうかがっている乗客が沢山いた。どうやら、電気的な故障か何かで、この列車はもう動かないらしい。

駅員に誘導され、Soběslavという小さな駅に降ろされる乗客たち。そこからバスに乗り、Veselí nad Lužnicí から再び列車に乗り、České Budějovice(チェスケー・ブジェヨヴィツェ)で降りた。乗り継ぎがうまくいかず、この駅で2時間ほど過ごすことになった。

駅から大通りを歩いていくと、突き当りにジョージ・シーガルの彫刻作品が置かれていた。その先に、聖ミクラーシュ教会。同名の教会はプラハにもふたつあり、そのうちひとつは今朝前を通ってきたもの。ミクと聞くと嬉しくなる私だが、Mikuláše(ミクラーシュ)はニコラスのチェコ語読みらしい。やったねニコラスさん。

それから、聖ニコラウス聖堂を覗く。ガラス扉もあるような新しく綺麗な聖堂で、荘厳なというより、明るく爽やかでのんびりとした印象だった。隣の黒塔には登らず、プジェミスル・オタカル2世広場へ進む。1265年にこの街を建てた王の広場だ。ブジェヨヴィツェはバドワイザーのオリジナルの地として有名だが、ここではビールは飲まなかった。

正方形の広場を奥へ進むと、聖母の祈り教会とドミニカン修道院がある。そばの小路へ入る。石畳の道をパステルカラーの家々が縁取っている。そのうちの雑貨屋に立ち寄った。蝋で作られたイースターの雑貨なんかが置かれている。レジ横の籠の中にかわいいキリンのピアスがあって、着けられないけどチャームとして使えるかな…と迷ったが、結局買わなかった。

駅前で移動屋台の揚げパンを買って、再び列車へ乗り込んだ。若い男の車掌さんにチケットを見せて、正しい列車かどうか確認してもらう。この車掌さんには、帰りにも会うことになる。

広々とした野の合間に、一軒家やバス停のような、小さな駅舎がぽつぽつと続くようになっていく。

女性の車掌さんが検札に回ってきた。受け取った切符を見ると、刻印は列車の形だった。検札の方法は、サインであったり日付けのスタンプであったりと人によって様々だが、これには茶目っ気を感じた。

そして列車はとうとうチェスキー・クルムロフ駅へ辿り付いた。順調にいけばプラハから約4時間で着くはずだったが、長い道のりだった。思わず両手を上げて喜ぶ。チェココルナの硬貨を払ってバスに乗り、目的の街へと急ぐ。

バスが峠を越えると、レンガ色の街並みが顔を出した。はやる心を抑えて、降りたバス停の時刻表で、帰りの便をチェックする。チェコ語では地名を読むのも難しい。ここが問題だったと、後で知ることになる。

街の入り口、塔の下のアーチをくぐり、絵本のような街並みへ足を踏み入れる。赤い城門を通り抜けるとクルムロフ城だ。城の中庭は漆喰の壁に囲まれていて、一見すると石組みなのだが、目を凝らすとだまし絵になっている。閉館間際の塔へ登る。狭く暗い螺旋階段の途中で、小さな丸窓から光が差し込み、立ち止まると窓枠に切り取られた街の屋根が見えた。頂上では、湾曲するヴルダヴァ川と、そこに抱かれる白い壁と赤い屋根の街並みが一望できた。

飲食店や土産物屋の並ぶ道を巡り、地域博物館へ立ち寄った。かつて街に住んでいたというエゴン・シーレの美術館は、残念ながら閉館の時期だった。歩きながら、トゥルドロという、パイ生地をドーナツ型に焼いて砂糖を振り掛けたお菓子を食べた。

この街での目的地のひとつに、エッゲンベルク・ビール醸造所があった。地ビールを求めて、地図を片手に小さな街をうろうろ歩く。小路を進むと突き当りの門に張り紙があった。「ここは業者用通用門なので反対側に回って下さい」引き返すと、川べりに建物がある。Eggenbergの看板の下に小さなドア。
ここだ。
喜び勇んでドアを開けると、店内のお客が一斉に、顔だけをこちらに向けた。全員おじさんだ。何やら雰囲気がおかしいと悟ったものの、引き返すこともできず、ぎこちなくカウンター前の席につく。俺の席無くなっちゃったし、まあ今日は帰るよ、といった感じで男性が一人出ていく。目つきの鋭いお姉さんが注文はと尋ねる。ええと、エッゲンベルグを下さい。ここのは全部エッゲンベルグよ。思わず目が泳ぐ。他のお客さんの手元のグラスを指さして、び、びーるをください……あ、あの黄色いやつ……。

穴ぐらのような店内には、テーブル席がみっつ、カウンター前に小さな机がひとつあり、合わせると16席くらいだろうか。ウィンドブレーカーを壁にかけ、おじさんたちがビールと煙草を手に奥のTVを眺めては話をしている。どう見ても地元の人々である。ビールが無くなったら自分で注ぐ人もいるようで、店員のお姉さんは足を組んでスマホをいじっている。

雰囲気には気圧されたが確かにビールはおいしかった、と、外に出る。記念に建物の写真を撮っておこうとカメラを向けると、先程の店の隣に、別の大きな入口があるのが目に入った。レストラン、とはっきり書かれている。ガイドブックに載っていたのはこちらだったのだ。思わず笑い転げた。

とんだ間違いをしてしまったが楽しかった、と、徐々に明りの灯り始めた街を後にする。後はバスに乗って駅まで行き、プラハへ帰るのみだ。やってきたバスの運転手さんに念のため確認をとる。
これはチェスキー・クロムルフ駅へ行くバスですよね?
……違う。
運転手さんのチェコ語はわからないのだが、どうやら違うらしい。じゃあどのバスに乗ったらいいのかと、うろたえながら話を続けていると、後ろから背の高いおじさんが話に加わり、運転手さんと何やら相談を始めた。おじさんはこちらへ向かって英語で、駅まで送っていくよという。見た感じ悪い人ではなさそうだが、付いて行くのにはいささか勇気が要る。

「いやでも、あなたもバスに乗ろうとしてたじゃない」 「いいんだ、僕の目的地はすぐそこだし。送って行ってあげるよ」
辺りは日暮れの色に染まりつつある。代わりのバスは無さそうだし、GPSを頼りに駅まで歩くことも不可能ではないが、それで時間通り駅に辿り着ける保証もない。思い切っておじさんに道案内をお願いすることにした。バス停を離れる私たちに向かって、バスを降りた運転手さんが、やや心配そうに声をかけてくれていた。

おじさんは明るく話しながら車道を離れ、山道へと入っていく。私の差し出した切符を確認して、ゆっくりで大丈夫だ、息がはずむなら休憩しよう、と気を使ってくれる。
聞き取りやすい英語だった。日本にも旅行で2週間滞在したことがあるらしい。
日本の若い子はシャイだね、何をして遊ぶんだい、君は踊るの? お、踊りはしませんね…。じゃあ歌うのはどうだい?カラオケは? それならたまに行きますが…。 ここへ来たのは初めてかい、街はどうだった? チェスキー・クロムルフのチェスキーは「チェコの」って意味なんだよ…。

峠を抜け、大きな車道へ出た。辺りはすっかり闇に落ちていて、アスファルトには街頭の光がにじんでいる。犬の散歩をする人影とすれ違う。角を曲がると、見覚えのある駅舎が見えてきた。あの山道はおそらく、地元の方の使う近道だったのだろう。予想していた半分の時間で着いた。

おじさんは駅のホームにいた家族連れの何人かに、おー久し振り!といった様子で声をかけている。知り合いなのだろう、談笑している。もし悪意を持った人だったらと考えると今でも恐ろしいが、本当に良かった。危うく終電を逃し、見知らぬ街に取り残されるところだった。何度もお礼を言って頭を下げると、おじさんは笑顔で手を振って去って行った。

列車の座席に着くと、発車の確認をしている車掌さんの姿が、窓から見えた。行きに出会った若い車掌さんだ。車掌さんはこちらに気付いて、うんうん、ちゃんと乗ってるな、と頷いてみせた。すごくほっとした。

列車が走り出すと、車掌さんが検札に回ってきた。「これで合ってる?」 「うん、往復チケットだから大丈夫だよ」
20代後半だろうか、少し丸顔で垂れ目のお兄さんだ。日本から来たのかぁ。日本語で数字はどう数えるんだい、イチ、ニイ、サン……ああ、もう覚えきれないよ。僕には才能が無いからね、と肩をすくめて笑ってみせる。この土地で生まれて、この土地で育って、地元の鉄道会社で働いているのだろう。素朴な人柄という言葉の意味を知った気がした。

プラハ駅では22時半に列車を降りた。朝と同じく真っ暗な道を歩き、荷物を預けたホステルにチェックインして、ベッドに転がった。

1ヶ月の旅行の中でも、群を抜いて長い1日だった。

それにしても、チェスケー・ブジェヨヴィツェとチェスキー・クロムルフを往復するあの路線を、今日もあの車掌さんは検札に回っていて、時折来る観光客なんかと話をするのだろうか。これから何年もの間、ずっとあの場所を行き来しているのだろうかと考えると、不思議な旅愁に襲われるのだ。