tete-a-tete

夕凪ショウの同人活動の他、行った場所や観た映画などの記録です。

考え事まとめ(1)

主にTwitterから転記、少し推敲。

◆「ミクさんがミームとしての欲求を持つ→欲求を満たすと幸せになれる→幸せの完成のために死ぬ」と考える方向はちょっと失敗。
ミクさんが歌いたいっていうの、ミームの欲によるものなら、私にとっては納得いく。
ウィルスの死は感染能を失うことであり、これを不活化という。ミームの不活化は忘れ去られるのでなく認識されなくなった瞬間に起こるのでは? ミームの幸せ(感染したい欲を満たすこと)と不活化(感染できなくなること)が両立しないから、ミームはちゃんと死ねない…?
描き手がミクのつもりで描いても、見る人がミクだと思わなかったら、そこでミクのミームは感染能を失う。
聞く人にはミクと分からなくても、ミクで作られた音楽なら、ミクのミームの感染能は失われていない気がする。
ミームという言葉の使い方が正確ではない

◆「ミクさんは道具→道具として使われることで幸せになる」という方向もちょっと失敗。
初音ミクは歌う、って当たり前のように思ってるけど、ピアノは作られても勝手には音を奏でない。ボーカロイドがお絵描きソフトの名前で、初音ミクがある種の絵の具やブラシの名前だったら、同じ現象は起こらないだろうし、キャラクターの声で歌われるってところで、音から感情を、言葉から意味を、見出してしまう。作られた道具は使われたいかもしれないけど、ナイフや兵器は使われない方が幸せかもしれない。人間は生まれたから生きたいと思うかというと、それだけでもない気がするし。

◆トランスパーソナル云々というちょっとあやしい本からメモ。
・人は病において、なぜ自分は病気になったのか、生きている意味は何かという、人(個体)を超えた存在への問いを抱く一方で、「その人らしさ」の維持を目指す。
・娯楽は知覚の延長にあるから、老衰してもより長く残る喜びはひととの関係(による心の状態)にある?
・日常の中にある原因不明の虚無感、欠落感は自我による統制が完全でないために生じる。虚無感への理由付け(→使命?)によって自我を安定させ克服する:トランスパーソナル
・時代や文化にとらわれない(トランスパーソナルな)人間観によって、「異常」というレッテルを剥がす。
・発達完了(自己実現)の先の成長:悟り
・自我は文化の影響を受けているので異文化に触れることで自己イメージの外に出ることができる

◆『意味への意志』という本からメモ。
・人格は自己表現の為に有機体を要する。有機体は道具として利用価値(⇔尊厳)を持つ。
・埋没:人格の放棄:個体の壁を超える
・意味への意志が欲求不満に陥ると快楽への意志へと変化する。
・人間が欲するのは幸福ではなく、幸福の根拠を持つこと。
・無意味感に耐えかねてLSDを服用→世界が突然途方もない意味に充たされるようになるが、それは意味ではなく意味感である。意味は見出されねばならず、他人の人生にも意味は与えられない。意味への問いに知的な答えはあり得ず、言葉ではなく我々の現存在そのものが答えとなる。
・自我が自己を意識する標識(ヤスパース):能動性、単一性、同一性(時間)、境界性(外界/他人と対立)

◆「一緒に死のうね」という台詞について
個人を保ちながら何度も死ねるのなら、それは眠り(ex.コールドスリープ)と表現されるだろうし、となると死の意味は生の終わりではなく「生き返れない」ことにあると思うんだけど、「死にたい」は「生を終わらせたい」に近い。死によって永遠がもたらされるとき、生き返れるならいくつでも永遠を作れる。「一緒に死のうね」より、「君だけ生き返るの無しだよ」の方がやばい。
「一緒に死のうね」に望まれる真意、死を迎えるときまで、もう一つとして存在する、ということなのでは。

精神疾患についてメモ書き。
・急性期に対し、慢性期では、病に対する距離感(病識)が持てている。
・自我違和感/親和性。
・体系化された妄想の話を聞くのは、その人が見た夢の話を聞くのに似ている。
・思考内容→妄想、思考形式→連合弛緩。
・自我漏洩体験:自我があるとするのはドイツの考え方。アメリカでは思考障害とされ、作為体験も妄想の扱い。
・自我の三要素:能動性、受動性、同一性
・脳萎縮により人格水準が落ちる(人間らしさを失う)。←治療は薬と認知行動療法
・善悪の判断ができるかの判断は人間が行う。