tete-a-tete

夕凪ショウの同人活動の他、行った場所や観た映画などの記録です。

考え事まとめ(2)

考え事…というか読んだ本の自分用メモです。
全てに賛同する訳ではないけども、手掛かりとして。
◆『死の臨床』というシリーズの本を何冊か拾い読みした。
・児童文化のなかの「死」:河合隼雄/「ヨーンじいちゃん」:甘い言葉(センチメンタル)にならない
・いま自分の前にいるその人においしくものを食べてもらおうということに一生懸命になっている人がいちばん人を癒す力を持っている。

・病によって免責権・援助が与えられ、依存的欲求が是認され、避難所が提供される。
・衝動や葛藤が強すぎて、自我がこれに直面できないとき、知的な思考によって克服しようとする機制を、知性化と呼ぶ。(例:対人関係が行き詰ったときに、現実的にその解決に努力することをやめ、その代わりに理想的な友情論を述べる) 知性化の一種ではあるが、自分が認めたくない衝動や感情を、もっともらしい理屈を見つけて、こじつけようとすることを合理化という。(例:自分の失敗を道具のせいにして自尊心を保とうとする) "ヒステリー盲"は、「見たくない」という欲求を、「見えない」という表現に置き換えたものである。身体症状が衝動や欲求を象徴的に表現するような内容であるとき、これを器官言語とよぶ。(虐殺器官を連想)
・自身にさえ選択の権利はないと考えることによって、自分の無力さ・後ろめたさを合理化して、不安から免れようとしている。
・ひとを認知するとき、その行動の意図を推察し、イメージを形成する。

◆死生観について
・辿り着いたガンジス川で倒れる老人、一種の法悦でありエクスタシー
・死の捉え方は宗教によって異なり、「やすらか」「明るい」というものもある
・死に対して明確な意味付けをする宗教を持たない日本人は、無と説明することが合理的で、陰のイメージを持つに到るのであろう。また日本では死を集団社会の現世からの離別(孤独)ととらえるため、寂しいと感じる人が多いと考えることもできる。
釈尊の悟られた人間の真実とは、生死苦を感じている個としての我なる存在(意義の世界・有限なるもの)と、それを支えている全一なる生命の存在(無意識の世界・無限なるもの)からなる途方もなく丈夫なものであった。
・生きたいというのは死の否定であるので、その否定をさらに否定して、すなわち死をも否定して永世を望む、永遠の生を望む。↔有限の生を認め、死ぬことは当たり前であると死を肯定する。

・"苛々した感情のハケ口が欲しかった、表出した感情を受け止めて欲しかった、身体的に衰弱してきたとき、専属で身体ケアをしてほしかった、死が近づいたとき、共に悲しがって欲しかった"
・人格的接触そのものが援助。人格的接触という言葉、「接触」には身体的な感覚ある。
・患者が死を迎えるまで患者と共に私たちが存在する。
・自殺をしたいという方を救うのは愛情だけです。その人が自殺しないように私が一緒に悩んであげましょうという愛情の繋がりだけが助けております。
・する/いる doing/being

・症状をうまくコントロールすることで、ホスピスは患者に新しい命を与えることができます。↔医者ほど患者の命を自分のものだと思っている人はいない。
・診断と治療によって患者の問題は解決する、問題を解決するために医療職がある、という考え。

◆私自身、歩兵部隊に軍医としていっておりました。沢山の戦死者を看取ったわけです。
軍隊では上官は部下を殴る、暴行する、戦地では色々な悪いことをする。事実、戦争の初めの数年はそうだったと思います。
それから変わってきました。特に私の部隊は絶対に兵隊を殴ってはいけない。お前ら一緒に死ぬんだ。殴った将校も、殴られた兵隊も、死んだら一緒に抱き合って埋めてしまうんだ。死ぬべき存在である。一緒に死ぬ存在だとやかましく連隊長はいいました。実際その通りだった。
本来戦闘のきついときは埋めるような暇はありません。時間があると穴を掘って埋めますが、そのときは将校も兵隊も一緒に埋めました。それからはお互いに助け合わなければならない。殴ったり暴行なんかは絶対にない部隊になりました。(金子仁郎 講演)

◆細かいメモ
・病名告知:癌という言葉が患者にとってどういう意味であるか知る必要がある
・フロイド: 生が終わり昔の無機物、無に帰するのがタナトスである
【伊勢物語】
・「パーソナリティ」:心理的刺激に対する個人的様式
・「鍵を開く」:二重盲検法で、必要な臨床データが全て出揃った後で初めて真薬と偽薬の区別が明らかにされること。

◆単語のみメモ
・キュブラー・ロス、死を看取る家、ブロンプトン・カクテル、有効偽薬、ヘミングウェイ、蓋然性、パラタキシス、ホログラフィック・パラダイム、和讃、死はご馳走?

◆「メディカルダイアローグ入門」という本をぱらぱら。
・間接的なコミュニケーションは認証欲求を満たす
・ペットが死ぬ→「私」の定義が揺らぐ→喪失感や悲しみ
・「私」の定義が広い
・「どうなればいいと思いますか?」