tete-a-tete

夕凪ショウの同人活動の他、行った場所や観た映画などの記録です。

日記

たまたま前を通りかかったので、商店街のアートギャラリーに立ち寄ってみました。
ここではいつも何らかのイベントが行われていて、興味はあったのですが、中に入ってみたのは今日が初めてです。
「献ぐる詞」
「無心体双生児と呼ばれる、双子の一人が奇形で心臓が無い胎児と五体満足の双子の胎児を題材に製作。」とあった。
心臓のイメージなのか、絵があったけど、曖昧で幻想的で浅い"キレイ"に思えた。
白銀のキャンバスに、パステルカラーの線がうねうね。または透明なビニールフィルムの表面に白い線で、漫画で描かれる古代や宇宙の原始生命体のようなものが、ぷちぷち。(脳下垂体の断面の模式図かと初めは思った)曖昧と言ったのは、現実味をともなわない、つまり実際の臓器や組織を連想させるのではない絵、という意味です。
それから天井から吊るされたカットガラスの球がプロジェクターの光に当てられて、スクリーンにその球の影が映り、影になった天井や壁には反射した光が散らばる。初めは胎児の、一つしか無いという心臓かな、と思ったけど、眼球と重ねてるのかも。
全体に、露出の高いカメラで撮った写真のようでした。

その後本屋さんに寄って美術手帖を立ち読みしたのでメモと感想ごちゃまぜ。松井冬子さんの特集。

・「美術が美術であるための三要素、クリエイティビティー/創造力、主題/主張、クオリティー国立西洋美術館館長 青柳氏
・絶頂の寸前を描く、絶頂の瞬間に対する想像の余地を残す
日本画は本番を描く前に同じ絵を何度も繰り返し描くので、その線が単純なものへと削ぎ落されてゆく。確かに一度描いたものもう一度描くとそうなる。
日本画は上層に向かう、油彩画は深層へ向かう?(油彩画は細部をどんどん突き詰める、塗り重ねた色がメディウムの透明を通して透けて見える)
・ジェミノイドの石黒浩さんと対談してた。石黒さん、ジェミノイドの方に皆は会いに来るし、プチ整形して老化する自分をジェミノイドに合わせているとのこと。
・ゲーム内世界や自動車の運転席など、人工的な環境では狂気は生じにくい?もっとカオスでないとってこと?

松井冬子小谷元彦は似てる?冬子(失礼だが、私はどうしても呼び捨てにしてしまう)と比べると小谷氏の「グロテスク」さは、男の子の憧れるかっこよさ。修学旅行のお土産で売ってる金メッキの龍が付いた重たい剣のキーホルダーとか、スカルのプリントされたダメージジーンズとか、そういうの。冬子の「グロテスク」さは、彼女自身が女という性別を強く意識してると知って思ったけど、女性的、かもしれない。女性的というか内臓的なもの。小谷氏の作品では牙や爪や毛皮、あるいは血液といった、確かに生物のものではあるんだけどそのままでファッションになるもの。冬子の扱うものは柔らかい、親指と人差し指でつまんでずらすとにゅり…っとする、ホルマリンでずるずるになった背中側のゼリー状のあれに近いもの。もしくは生理中の経血の塊のような。生理のように、自分の内臓の一部が定期的に壊死剥離する経験の有る無しで随分感覚が違うんじゃなかろうか

・冬子自身の美貌が崩れたら、崩れそうになったら彼女は狂気に陥るのだろうか。死後に映画とかできそう
・私が居ると周りの空気がぎくしゃくする、その事を私が居なくなった後で彼らは噂してるんじゃないだろうか、とか、そういった弱者の病み方とは違う。冬子は美人の強みがあると思う
・同じ絵を描いてそれがとても不細工な女の人だったとしたら?
・彼女はかわいがられるのが嫌なようだ。
・「みせびらかす」という言葉をやたらと使っていたように思う。「子宮を見せびらかす」とか
・冬子や小谷氏や、あるいはムラカミのように、いかにも刺激的なものを描いて注目を浴びんとしてるひとは好きじゃない。藤田嗣治ルノワールのように、いかにも甘やかで幻想的な絵を描いてその味で評価されている作品も好きじゃない。ただのほおずきとか、なんでもないものを描いてぞっとするような感動を与える絵こそ本物だと思う。
・夕凪さんはtwitterでやたらと安定したものが好きとか言ってるけど、内心不安なの?
・解剖図を見てスケッチした、小山羊を云々、とか色々書いてあったけど、人の解剖はしたとは書いてなかった。冬子の絵から内臓の生々しさはそれほど感じない。少なくとも私が持ったイメージとは違う。ぐちゃぐちゃにして嫌悪感を、というより図案化されて量も遥かに少ない。わざと?
・保留、要考察