「感性の限界――不合理性・不自由性・不条理性 / 高橋昌一郎」
先月末に読み終えてから、余裕なくて感想書けていませんでしたm(_ _)m 高橋さんご本人からつっつかれてしまったので、慌てて更新します。読み違えてないかちょっと緊張します。
感性というタイトルから、美術や音楽に多く言及しているかと思いきや、そうではありませんでした。
それぞれの話題が細切れで、これをかじってはダメ、あれをかじってはまた別冊で、というふうでした。散らばったネタが思わぬところでつながっていくのは面白いのですが、やや物足りないです。
ナチやテロの話題については普段意識していなかったことに気付き、新鮮でした。
以下、面白かった部分のメモです。
◆視覚・聴覚は新皮質に根ざす客観→知性
嗅覚・味覚・触覚は辺縁系に根ざす主観→反射(感性?)、という対比
◆二重過程理論
・分析的システムは自律的システムを制御できない、頭と身体の不一致
・頭では綺麗だとわかっていても汚ないと思ってしまう、一度身体から出たものは異物として排除したくなる
…非自己の認識といえば免疫応答が思い浮かぶのですが、細胞レベルでは「汚い」という感覚は存在しない(と思う)ので、衛生観念にしろ人間関係にしろ、ひとの”外部を排斥”する感覚というのは興味深いです。そもそも外に出すから外部になるのであって、じゃあ自分の境界ってどこなんだっていう……
・生まれてから言語を習得するまでの時期、子供は大人に盲目的に服従する。この服従は遺伝子が生存のために組み込んだ自律システム。大人になってからは、おかしな命令だと判断できても上司に逆らえない場面がある。分析的システムは自由意志へつながる。
…大人になっても盲目的服従を望むのは、子供に戻りたい気持ちもあるのかなー 葛藤の放棄かな。
・分析的システムは個体の利益を優先し、自律的システムは遺伝子の利益を優先する。
・マズローの欲求段階では分析が自律の上位に来る?
◆不幸の手紙は内容を持たず、自分の複製子を増やすことのみを目的とする、ウイルスのようなもの。
引用すると、「われわれの遺伝子自体は不死身かもしれないが、特定の個人を形成する遺伝子の集まりは崩れ去る運命にある」
繁栄という過程のに不死を求めるべきではない
生きた証を残すことより、無私の行為こそ崇高では?
…この辺りは個体の壁(http://togetter.com/li/302116)を思い出しました。
◆実在は本質に優先する
ただ実在が優先してあるのみ。なのに本質を求めるのは不条理。社会に適応できない異邦人は不条理に翻弄される。ムルソオは自分の感性が揺れ動くままに、正直に問いに答える。これを嘘がないと書いていて、一貫性がないことを嘘つきというのかと面白く読みました。
◆スキナー箱、アンカリング、小集団の倫理
冒頭で生意気なことを書いてしまいまいたが、「感性の限界」、楽しく一気に読みました。
後日「脳とアート」という本を見つけたのですが、ぱらぱら見てみた感じでは、求めていたもののようでした。でもちょっと高い…