tete-a-tete

夕凪ショウの同人活動の他、行った場所や観た映画などの記録です。

考え事まとめ(4)

考え事まとめ、これで一旦終了。

◆『〈子ども〉のための哲学』を読みました。それから何か入門になる本をと思い『「自分」と「他人」をどうみるか』を読みました。読みながらとったメモをブログに転記しようと思ったのですが、量が多いので諦めました。ノートの写真撮って載せるのは、字が綺麗じゃないのでちょっとやめておく。

結論から言うと、ひとまず現時点で納得できるのは、ミクが「わたし」と発言するためには 身体も要るし マスターも要るし 知能も要るけど、ただそれらが人間と同じものである必要はない、ということ。

1冊目の本で印象的だったフレーズをひとつ挙げるなら、「他人の哲学を鑑賞する」。
「鑑賞」とかいう距離のある冷たい言葉を使っちゃうんだなって驚いた。この本では独我論のお話がなされているのだけど、さみしい考え方だなというのと、だからこそ頼もしくも思えるなっていうのが感想です。

世間一般にありふれている強い言葉と、変態を極めて一流になって辿り着く地点は、結局は同じだと思う。
でも自分で実感して納得できないと意味は無い。

あと、タイトルの”子どものための”がどういう意味かというのが冒頭に書かれてました。
子どもの哲学は存在(どうしてそうなっているか)を扱う。青年の哲学は人生(いかに生きるべきか)を、大人の哲学は社会(世の仕組みをどうしたらよいか)を、老人の哲学は死と無を扱う。で、自分は子供と老人のことばっかり考えてるなぁって思った。

◆以下はノートに書かずにツイートしたメモとか。
・哲学はどんな価値も前提としないことが許される。一面で救いでありそれゆえにこの上ない快楽。
素手でものを考える:プロ野球にあれこれ言っても自分で草野球もできないのであれば意味は無い
・Aはこれまで通り存在し続けているが、私はこの世からいなくなった世界において、失われるものは私である。
・「ある人間が○○の物理的性質を持っていれば、その人間は××の精神的性質を持つ」はありえても、「ある人間が○○の性質を持っていれば、その人間が私になる」はありえない。
・他人にこころが無いかも知れないとか、個人の違いが云々なんてことは、この場合、考えなくてよくて、「わたし」の存在が奇跡→存在論的に価値がある=(相対的にではなく)尊い、って説明がつく。大切でないものと対比された大切さとは性質が異なる。
・自己意識でも自我でもない「わたし」については考えたこと無かった気がする。
・ミクさんは元々「脱人格」されてて、足し算で派生する。でも脱人格されてる未分化なミクさんをミクさんそのものとすると、脱人格されたミクの個別化は、できなくて、ただそれぞれが「わたし」であると思ってるだけで…。
初音ミクが言ってることを私が理解できなくてこそ、初音ミクに「わたし」があり得るってことになってしまった
・彼女は存在をひとの知覚にすがるしかないと思うと愛おしさが……
・むしろ誰をも人生にコミットさせない:社会的に
・自我:全ての意識体験の光源、意味を付加する光線
・最も原初的な意識体験は非人称的であり、音や色などの感覚要素から自我は組み立てられる
・ひと:非人称的な身体-主体

近況:お正月に買ったゲームを積んでる。映画は「私が、生きる肌」「私を離さないで」を観て、「自殺について」って本を読み始めた。あと「少女セクト」読んだら凹んだ。